editor: 佐伯 章
『くにたち未来通信』No.4
1998/12/31
〈市民自治〉〈市民参加〉〈情報公開〉
【編集・発行】上原ひろ子と市民参加でまちをかえよう会
国立市中1-16-23
tel:042-577-6841
fax:042-577-6846
4月いよいよ国立市長選
文教都市国立こそ教育・福祉に目がとどく女性市長を!
『上原ひろ子さんと共に市政をかえよう!市民の集い』
“今度こそ市民が決める!このまちの未来”〜未来図を描きませんか?
あなたも一緒に
会 場:くにたち市民芸術小ホール
日 時:1月23日(土)午後2時〜4時
参加費:一般 999円/学生 499円
今日、バブル崩壊に伴う長期不況の下で、自治体運営にはたいへ ん厳しいものがあります。国立市も例外ではありません。しかし、 そうだからこそ、市民が真の主権者として知恵を出し合いながら 「国立らしさ」を描き、まちを再生していくチャンスでもあります。 当日は、政策発表をはじめとして、梶山正三氏(関東弁護士連合会 公害対策環境保全委員会委員長)のお話し、上原ひろ子さんの友人 の本格的な第一歩を、皆さんと共に踏み出したいと思います。
【 上原ひろ子のまちづくり政策 】
市民が真に主権者としてまちを描く 〜まちじゅうに生命の交差点を〜
市民が描く未来のまち
◆ 情報公開で市民がチェック
◆ 多くの場面で市民がまちづくりに参加
生命をはぐくむ豊かな環境を未来につなぐ自然循環型都市
◆ 市民参加による都市マスタ−プランづくりで快適に暮らせるまち
◆ 湧水のあるまち・自然との共生の学びの場を子どもに残す
◆ 災害からも生命を守る自然のおおらかさをまちにちりばめる
誰もが安心して住み続けられるまち
◆ 地域が楽しくなる安らぎのたまり場が点在する
◆ オンブズパ−ソン制度で人権が守られる
◆ 安全で自分らしく暮らせるバリアフリ−のまち
◆ NPOの活躍で市民が支え、創る生きがいのあるまち
◆ 介護保険制度をこえた安心のしくみを
誰もが望むだけ学ぶことができるまち
◆ なにより子どもの人権を基本に
◆ 教育現場の自由と自主性を尊重してのびやかな子どもの環境を
◆ 地域に根ざした学校教育を市民参加でいきいきと
◆ 文教都市をはぐくむ市民の学習の場を広げる
商業と農業と市民がつながって息づくまち
◆ 個性ある商店から文化が生まれる
◆ 地元の生産物が店を埋めて市民とつながる
◆ 市民も参加して農業を支える
上原ひろ子さんのプロフィ−ル
★1949年 宮崎県宮崎市に生まれる
★1968年 県立宮崎大宮高等学校卒業
★1973年 法政大学文学部卒業
★1976年 法政大学大学院修士課程中退
★1979年 国立市に転居 地域活動を始める
★1989年 東京・生活者ネットワ−ク代表
★1991年 国立市議会議員
【共 著】
『どうなっているの?東京の水』1990年
『地球を救う133の法』1990年
『<環境と開発>の教育学』1998年
あなたと創りたい このまちの未来
市民の市長は市民のカンパで! カンパ募集!!
市民の市長は市民の力で! 選挙ボランティア募集!!
カンパの送付先
口座名称:上原ひろ子と市民参加でまちをかえよう会
郵便振替口座 00120-7-70348
ワイワイガヤガヤ ちょっとまって!
ごみ問題●多摩川衛生組合への参入は、国立市の掲げる資源循環型
社会に逆行
連日のように新聞紙上に取りあげられるダイオキシン。
「第三期基本構想」でごみ処理は基礎自治体の責務であるとし、
清掃工場新施設建設にむけて歩を進めてきた国立市が、なぜここに
きて180度転換したのだろうか。自治権の魂を売り渡したとしか思
えない。
形ばかりのものとなった「情報公開」「市民参加」「市民自治」
の重みをかみしめたい。
▼平成元(1989)年、国立市は清化園清掃工場の施設の老朽化に 伴って市内での新施設建設に向けプロジェクトチームを発足させ、 '97年には議会に実施の意向を報告した。
しかし現工場の新築、代替地の選定は難航、計画は暗礁に乗り上
げた。そんな矢先、「多摩川衛生組合」参入の話が浮上、現在参入
している稲城市など3市に加え、さらに国立市を受け入れてもなお
余力がある事から、市は渡りに船と“市外処理”に方向を急転換し
た。
国立市はこの転換について、折衝が難航していることに加え、新
工場の建設費に比べ財政節約になるとしているが、長期的にみてご
みの総量規制・リサイクルなど、市がめざす資源循環型社会に逆行
するのではないか。
▼自治権の放棄につながる“市外処理”
国立市は「第三期基本構想」(平成8・1996年策定)の中で、ご
み問題について“処理は基礎自治体の責務である”とし、処理され
たごみを資源として活用し、分別収集や広域的リサイクルシステム
の推進によって資源循環型都市を確立することをうたっている。
日の出町二ツ塚最終処分場によれば、国立市の可燃ごみの焼却灰
は他市に比べて良質だという。これはこれまで市が指導してきた分
別収集の成果であり、市民意識の高さを示している。
しかし他市での処理に転換することで、“自区内処理”の原則が私
達市民の意識の中で希薄になり、ごみの総量規制・リサイクルとい
った面で後退してゆくのは避けられない。
市が力説する基礎自治体の責務とは、自治権の確立に向けた意志
表示であって、自分のまちで出したごみを他市の処理にゆだねるこ
とは、自治権の放棄につながるのではないだろうか。“文教都市・
国立”の名が泣いている。
▼国立行政は常に私達市民の意志を疎外している
「多摩川衛生組合」への参入に議会承認を得た国立市だが、また
しても民意にはかる手続きを怠ってきた。
その一つ、公募の委員で構成される「国立市ごみ問題市民委員会」
に、この問題について全く諮問されていなかった。驚きである。同
組合との対応経過、財政的比較そしてごみ処理の総合的見地から、
民意を聞く姿勢が欠落している。
二つめは、国立市はすでに11月26日付で「多摩川衛生組合の運
営等に関する覚書」に調印しており、12月の市議会は事後承認を迫
られた。その理由は10月に開かれた「全員協議会」で、同組合との
協議経過を報告した際、賛意の感触を得たからだという。協議会に
議決権はなく、行政の独断専行の批判はまぬがれない。
▼HELP 上原さん! ここは何としても、上原さんだったらどうするのか聞いてみたい。
ごみ処理の突然の多摩川衛生組合参入は、市の市民不在の姿勢を
典型的に示したものです。
市民生活に密着した、しかも自治権にかかわる重要な政策を、一
度も市民の意見を聞く事なく説明すらなく決定することは、市民自
治の理念を忘れ去った行為です。1991年に生活クラブの仲間と市
内10数ケ所で資源ごみポイント回収の実験取り組みをしました。
その実績を持って議員としての最初の提案が“分別収集”でした。
ごみの排出者である市民が自覚をすれば、ごみの量はたちどころに
変わります。
◆「ごみ問題市民委員会」から出された第二期答申は、事業者を含 む市民自身が、ごみ処理は排出当事者の責任との認識に立って出さ れた優れたものになっています。まずは、この答申を政策化するこ とが基本です。
◆市民・事業者・行政が、それぞれ発生抑制の目標を定め実施計画 を策定します。達成については、ごみ問題市民委員会で評価し、公 表していきます。
◆かつて、大学通りで市民発の「リサイクル市」が定期的に開催さ れ、近隣から多くのお客が集まり評判になっていました。大学通り の一部を解放し、市民リサイクル市場を再開します。
多摩川衛生組合の焼却場のある稲城市の市民に対し、排出側の責
任を果たすため、今後は今まで以上の徹底分別と減量策を立てなけ
ればなりません。
その手始めが、実は市民への情報公開により理解を得ることでは
なかったでしょうか。
市民の不断の努力なしに、ごみ問題の解決への前進はのぞめませ
ん。
市民がつくった国立の歴史
“共生”の道を拓いた身体障害者スポーツセンター
東京都にたった二つしかない身体障害者スポーツセンター。その
一つ多摩身体障害者スポーツセンターは、大学通りと桜通りが交差
する国立市の一等地にある。国立音楽大学付属高等学校の跡地に同
センターが開設されたのは昭和59(1984)年。広大な跡地をめぐ
って都立高校、企業の社宅誘致などの曲折を制した運動の原動力は、
“障害者が住みやすいまちは老人・子どもも住みやすい”とする
“共生のまちづくり”への想いだった。
教育の機会均等、一般市民とのふれあいを求め、駅頭で誘致への
署名運動に取り組んだ「手をつなぐ親の会」の副会長(当時)大森
富栄さんは「1万人近い署名を集めたが反対運動は起きなかった。
そこに市民の潜在力を感じた」という。いま同センターに通う年間
9万5千人の身障者は、国立市の“共生”への温もりを感じているだ
ろうか。
同センターの誘致は、国立市の“身障者を積極的に受け入れ、教
育と福祉を文教都市の両輪とする”市政を印象づけたが、最近の国
立市の政策は後追い・型どおり福祉といわれている。しかし共に生
きる市民の心は生きている。今新たに、障害児の自主学童保育に動
き出した市民達がいる。そうしたNPO(非営利団体)の活動を本気
で支援できるのか。国立市の福祉の真価が問われている。